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【名句025】論語より | |
【意】 | 人間のできている人は、泰然として高慢でない。人間のできていない人は、威張り散らして落ち着きがない。 |
【解】 |
威張り散らす者は、知らず知らずに敵を作ります。敵が多くなれば守らなければなりません。際どい商売をすることで有名な人の豪邸を見ると、有刺鉄線付きの塀や頑丈な門で守られカメラまで付いています。平和な時代に要塞に住む主人は、心の休まる時はあるのだろうかと気の毒にさえ思います。 「驕れるものは久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」と言いますが、威張るとは中味以上の虚勢を張ることです。虚勢を張って不相応の車やバックなどを持つ人もこの類で、持ち物と持ち主の中味がずれるから長続きしません。 ならば謙遜すればよいのかというと、そうばかりでもありません。亀井勝一郎氏は「謙遜ということは、一歩誤れば卑怯な手段になる」と警告しています。謙虚さを通り越して、自己の安泰を図り、責任を回避するために安全な場所に身を潜める。威張る者も困りますが、このように自己安泰を狙った謙遜を装う者も始末に負えません。 「人間の立ち振舞いは、その者の隠れた部分の日常生活に起因する」(巌海) |
【名句026】貞観政要より | |
【意】 | たった一言でも気に触るようなことを言えば、人はその恥辱を憶えていて復讐を企てる。 |
【解】 |
人間は言葉の出入りに細心の注意を払うべきです。太宗(唐の名君)ほどの大権力者であっても、「言語は君子の枢機(大切)なり。談、なんぞ容易ならん」といい、自分の言葉には細心の注意を払っています。 先ず自分が発する言葉について考えると、恥辱を含んだ言語は論外ですが、こちらが気付かないうちに相手の被害者意識を引出してしまう場合も多いはずです。例えば、年下の者から君付けで呼ばれたりすれば、相手の屈辱感情は激しいものになります。この種の失敗により敵に回す人を増やしてしまう人物が多く、気遣いのない者が成功者になった例はあまりありません。傍若無人で有名な信長でも、武田信玄に対しては礼を尽くしていたそうです。 受け入れる側に立って考えれば、度量をもって対応し、くだらない次元の怒哀感情を起こすべきではありません。我が心の主人公は、あくまでも自分であること忘れずにいることが大切です。 「無礼無知なる者の言動に我心を惑わされるな」(巌海) |
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