100万人の心の緑化作戦
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名言紹介


【名句185】正法眼蔵随聞記より
志の至らざることは無常を思わざる故なり。
【意】 志が実現しないのは、人生における無常観を把握していないからだ。
【解】  人生の無常観とは、残りの人生の日々が刻々と消滅していくことを実感することです。例えば夏休みは人生の縮図です。長い休みもお盆が過ぎる頃から妙に早く感じるものです。少なくなっていく日数に不安を感じながらも宿題に取り組みます。休み始めにやり終えようと何回も挑戦し失敗した宿題も、残り数日となると思いの外順調に進みます。このように消滅する残余の日々を実感すると、一日一日を真剣に過ごすことができます。これを「今・逆算法」といいます。
 人生も消滅した日々のはかなさの中から、残された人生の大切さが芽生えます。50才を境にして上り坂から下り坂の人生となります。人は若い時に永遠の若さを信じて人生の終着点を見ようとしません。けれども50才を過ぎると少しずつ体力の衰えを自覚し、下り坂の人生を実感します。そして自分の衰えに正面から対決した時に青春と決別するのです。この決別が1回限りの人生を気付かせて壮年としての自覚を促し、無常の日々を大切にするスタートになります。
「無常を感じることが惜陰人生の始まりである」(巌海)


【名句186】韓非子 より
涙を垂れて刑を欲せざるは仁なり。しかれども刑せざるべからざるは法なり。
【意】 涙を流し刑罰を望まないのは「仁」であり、それでも刑罰を中止しないのは「法」によるからである。
【解】  法治主義を説く韓非の思想は、儒家の理想主義に対する挑戦です。
 次の文は法家思想の代表者の主張として魅力に溢れます。
「儒家はいう。昔の君子は天下万民を愛していたから、民を見るに父母が子を見るようであり、民の死刑の報告を聞くと涙を流したと。このように儒家は昔の君子の仁愛を讃え、この仁愛により君臣の関係が親子のようであれば、国の治世は必ず旨くいくと説く。しかし大きな愛情をもってしても親子の関係は旨くいくとは限らない。まして君子の愛は親の愛に及ばないのであるから、君子の仁愛だけで良い政治ができるはずがない。だからこそ昔の君子も仁愛の涙をこらえて法による刑を執行したのである。」
「天下の聖人孔子でさえ、仁義の教えに感服させた弟子はわずかに七十人。魯の哀公は大した人物ではないが孔子の君主である。仁義ではかなわないが権力の勢いで孔子を家臣にしている。この有効な権力を使わないで『仁義に努めて君主となるべし』と説いているのが儒家である」と。


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