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【名句285】菜根譚 より | |
【意】 | 功績評価と過失責任(信賞必罰)を曖昧にしてはならない。曖昧にすれば人は怠惰堕落の心を持つことになる。 |
【解】 | 孔明の「泣いて馬謖を切る」の故事以来、信賞必罰は組織規律の特効薬です。確かに正論ではありますが、見方を変えれば犬の調教と同じです。賞を期待して動き、罰を恐れて自重するロボット犬ばかりでは困ります。 規律があり世界一の精鋭軍だった日本軍も、単純勇猛なロボット将校の増加に伴い、相手国の市民を犠牲にする侵略戦争に走りました。現代も企業戦争の時代ですが利益に餓えた企業戦士だけでは、人心の砂漠化が進行してしまいます。 学園の規程に「組織責任者は、見識と人徳を備えるため、人間としての器づくりを第一として努力をし・・」とあります。この解説に、南洲遺訓の「国に功労ある人には賞を与えよ。功労があったからといって地位を与えてはならぬ。地位を与えるには、その地位に相応しい見識と人徳がなければならない。見識と人徳の無い者に地位を与えると国家崩壊の原因になる」を掲げています。 誰もが人生の夢を託す職場ですから、組織も構成員も共に正々堂々と大きな社会貢献をして、利益は貢献の大きさに伴う付随物程度と考えたいものです。 |
【名句286】正法眼蔵随聞記 より | |
【意】 | 学道の人が自ら「私は先生のお考えと違います。だから納得できません」と言うが、この考えは誤りである 。 |
【解】 |
道元禅師が述べている誤りの理由は、次の通りです。 「もし自分が学びたいと思う教えを独学する際、教えと自分の考え(我見)が違った場合には、どちらを尊重するか。誰もが貧弱な我見を立派にしたいと願い学ぶのである。我見と違う先生の教えに触れた時こそ学問向上の好機である。先生の考えに納得できなくても、素直に受け入れる努力をして我見を改めることが、学問が上達する秘訣である」と。 人生の達人の言は、しばしば我見執着の我々には反対に聞こえます。代表的なものが親鸞上人の悪人正機説です。 「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」 阿弥陀仏は善人よりも悪人を先に救うといいます。善人は自力作善により極楽往生ができる人。悪人(凡夫)は煩悩に囚われ自力作善ができず往生ができない人。慈悲深い阿弥陀仏は善人よりも悪人を気の毒に思うから、悪人が先に救済され極楽往生に送り込まれるといいます。 ところで無償救済されなければ損だから、悪人の一生を過ごしたいと思いますか。 |
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